こだわりと執着
このテーマは大体多数派には使われないものだと普段は思います。
こんばんは、juncoismです。 しかし、ほじくり返してみれば、出て来るもんです。 意外かもしれませんが。 だって世の中でたまたまそうは呼ばれていないだけで、無意識にこだわりはあるんです。 えぇ、誰にでも。 多数派は自分たちのことだから、そう名付けていないだけです。 ただ多数派の場合、こだわりは執着と言っても良いのかなとも思います。 自分が必要ない、面倒だから、やっても誰からも何も良い印象はない…とか。 自分がわざわざやる必要なんてない、動いてあげることはするだけ無駄…とか。 私がここを先に確保したんだから、他人に入り込まれちゃ困る…とか。 はたまた、一本でも早い電車で時間に間に合うよう行動するために、無理やりねじ込んで駆け込み乗車する…とか。 人の気持ちを汲み取れるのが多数派のスゴいところなら、いわば現実は宝の持ち腐れなんだと言っても過言ではないのかもと思うのでした。 勿体無いよね〜、実際。 だってさぁ、こだわりがないのだから、周りが予想外のことをしたら臨機応変に対応出来るってことでしょ? 都合が良くないことも、急な変更も、別にイヤにも思わないんでしょ? しかし、こだわりの意図に反しているから、文句が出るみたいです。 つまり、こだわりがぶつかった時点で、自分を正当化するというコミュニケーションができるらしい。 執着が生んだ自己主張の拡大解釈。 勢いは止まらないようです。
by juncoism
| 2011-11-17 21:16
| juncoism
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